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人生9 『生を本能的に受諾する脳構造』


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たぶん人は本来『自殺をかんがえない設定』になっていると思います。

自分の子供を見ても感じます。
赤ちゃんの場合を考えます。泣いて、寝て、おっぱいを飲んで、排泄してまた寝ます。
幼児の場合を考えます。遊んで、疲れて昼寝して、笑って、泣いて、黙って、いじけてまた寝ます。
『自殺をかんがえない設定』になっているのはほぼ間違いありません。

小学生、中学生、青年期、ほとんどの人は自殺を考えていないはずです。
私は自殺を考えていましたが、ほとんどの人は自殺を考えていなかったと思います。
たまに、「自殺くらい誰でも考えたことがあるよ」と言う人がいますが嘘です。
言葉の意味合いが違いすぎる。自殺という「単語を知っているだけ」です。
本気で自殺を考えている人間とは全く違います。

中年期、老年期、高齢期とどうなっていくのでしょうか。

たぶん人は本来的に『自殺をかんがえない設定』になっていると思います。
昔は、自分が「悩みやすい性格だとか、思いつめる性格だ、暗いことに執着する気質だ」とか考えていました。
今では、考え方が少し変わっています。
  ・悩みやすいから本気で自殺を考えるのではない
  ・思いつめる性格だから本気で自殺を考えるのではない
  ・暗いことに執着する気質だから本気で自殺を考えるのではない
また、
  ・不幸があったから本気で自殺を考えるのではない
  ・自分が絶望的な辛さや不幸に襲われたから本気で自殺を考えるのでもない
と感じています。

 躁鬱を繰り返しているうちに感じ方が変わってきたのですが、
  ・単純に脳鬱状態になっているから『自殺をかんがえない設定』のスイッチが切り替わり
  『自殺したくなる設定』になるのだと思いはじめました。

私は、今でも脳鬱期には死にたくなります、青年期にも死にたくなりましたがそれは鬱と認識がなかっただけで脳鬱期に入っていたからだと思います。

脳鬱期がおさまると私はまったく死にたいと思わなくなります。

ドーパミン、セロトニン、アドレナリン、ノルアドレナリン..といった脳内物質の分泌崩壊が『自殺したくなる設定』を引き起こすにすぎないと思っています。

 『自殺したいんじゃなくて、分泌崩壊がおきて自殺したくなっているだけ』
 『死にたいという思考は、すでに病気だ』
これが最近の自分が辿りついている考えです、間違ってるかもしれませんが。
自分は本当は自殺したくない、ただの分泌崩壊のせいだ、と休職期は言い聞かせたりしていました。
でも、病識がなくなったり、苦しさで言い聞かせているどころじゃなくなるのが病気の怖いところですが...。
外因性ではなく内因性(外的条件ではなく原因不明の脳内原因に由来する)と説明される理由が何となく最近わかってきたような気がします。

脳鬱期がない人々、脳内物質の分泌崩壊が起きない人々、『自殺したくなる設定』にスイッチが切り替わらない人々は大勢います。
不幸が起きて自殺する人は多くはないです。ほとんどの人々はスイッチが切り替わらない。
震災津波で多くの悲惨なことがありましたが、その悲惨な結果でも自殺した人は多くはないです。
新聞だと関連自殺○人など書かれていますが、それはあの規模の悲惨な結果を考えればまったく多くない、極小です。

脳鬱は怖い、不幸より怖い、不幸を地獄に変えるのは脳鬱かもしれません。私は、長男をかわいそうな死に方で失いましたが、それは恐ろしいことに親としての悲しみで済んだのです。悲しみに沈み、葬儀を済ませ、火葬を済ませ、その後の毎日を長いこと今日という日まで過ごしてきました。でも悲劇が起きたのは脳鬱期の出来事ではありませんでしたし、私に新たな脳鬱期をもたらしはしませんでした。だから、私は普通の人々が抱く絶望とよばれる悲しみの範疇で長男の死に向き合うことができました。

私にとっては、率直に言って、恐ろしいことに長男の死よりも脳鬱期の方がはるかに地獄だったのです。青年期に2回、社会人で3回の合計5回体験している脳鬱期の方がはるかに地獄だったのです。
このことは断言します。

   あれは、日常に存在する不幸や悲しみとは別格のものだ  別格の絶望だ

私は、『自殺をかんがえない設定』で生きていきたいです。
大勢の人々は『自殺をかんがえない設定』で生きていると思います。繰り返しますが、本当に大勢の人々が動物的に生きているのだと思います。人は、寝て、起きて、飯を食べて、排泄して、周囲と雑談して、仕事をこなして、遊んで、そしてまた寝ます。大勢の人々は動物的にそれらを繰り返し、特に人生を無駄に考えず、人生を考える必要性もなく、下手をしたらそういった余計な事を考えたりする脳機能すら存在していません。人生への不必要な思考や自死欲求は脳内物質の分泌崩壊がもたらす排泄物に過ぎないかもしれません。そして、大勢の人々の動物的な生き様こそが普通であり、羨ましくもあり、最善のようにも思われます。大多数の人々は生まれたばかりの赤ちゃんや幼児達と「生を志向する」という点で同じ脳設定のままであり、自殺を本気で考えるという思考を抱くこともなく、意識的にあれこれと頭を思い悩ませることもなく、ただただ自然体で生きているのだと思います。
人間は本来的には『生を本能的に受諾する脳構造』となっているのです。



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