スティル✪ライフsuicide

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会話6 会話カテゴリ専用・過去体験&現状のまとめ


Edit Category ◆会話◆
※この記事は気に入らなくなれば即削除します。
不快だと思うのでスルーしてもらって構いません。
会話カテゴリ専用に、他記事に記録していた育った環境や性格などについてまとめておきます。
非常に異常な超長文ですので興味がある奇特な方だけ読んでください。不適切な記述が多々あります。


ちなみに、私は自己啓発的発想・宗教的偏りのある発想・スピリチュアル的発想が大嫌いですので最初に断っておきます。


■保育園2ヵ所
■小学校3校通学(転勤族)

このため幼馴染とか小さい頃からの友人はほぼ皆無です。
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3つ目の小学校で、クラス内の班替えをする際、「好きな人同士で組む」という設定において、転校生で馴染んでいないという背景もあり、最後まで余って、教室の一番後ろに立つように言われ、既に出来上がった班の人達で「受け入れてあげるよ」という班に入れてもらうという屈辱的なことがありました。前の小学校で仲良しグループ友達がいたので、なおさら屈辱的でした。(詳細は暴力2記事)
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また、からかわれることが何度かあり、小学校のクラスメイトと暴力沙汰の喧嘩になったのですが、見ている全員が喧嘩相手の応援をしたことも屈辱的でした。転校生である私を応援してくれる生徒はいませんでした。

■中学校1校
中学1年生の時に、少し仲良くなった生徒がいたのですが、その生徒が学校を休んだときに、音楽とか図工とかの授業で移動するときに完全に一人になりました。その時に猛烈に情けない気持ちになりました。「俺は友人が休んだだけでこんなに辛く感じたり不安になったりするのか、なんて弱くて情けないんだ、転校以降いろいろあったけどこんなことで強烈な孤独感を感じる自分を認めたくない。自分を許せない。友人の存在の有無に精神面の安定を依存して過ごすなんて耐えられない」と思いました。それ以降「俺は別にもう1人でいい、友人なんて1人もいらない」と強烈に思いました。
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私は、中学校入学時にすでに約170cmの身長がありました(幸運①)。このことは優位でした。私は、1人でいいと決意して以降、中学1年・12歳時点で、深い剃り込みを入れ、眉毛を細くし、からかう同級生には蹴りを思い切り入れるという方法で黙らせることにしました。
(詳細は暴力&犯罪&戦争カテゴリ記載のため省きます)
そのため、中学時の同級生のほとんどには敬語で話し掛けられていました。
休み時間は、席を立たず腕組み、昼休みも、長い時間席を立たず腕組み、話しかけてくる人がいなければ話すことはなく、話しかけてくる人は実際ほぼいない。 特に嫌われていたということはありませんでしたが、学年で完全に浮いていました。
孤独に耐えるため、存在感を失わないため勉強と部活は本気で取り組みました。
球技部に所属し、一応エースで主将でした(幸運②)。成績は模擬最高475点です(幸運③)。塾や習い事は一切していません。

『俺は無視されて浮いているんじゃない、俺が、一方的にお前らを無視しているんだ!!!』 と強く言い聞かせていました。

友人関係を遮断していたので部活以外の時間は自宅での勉強にかなりの熱量を注いでいたと思います。「親になど頼りたくない、小遣いなど貰いたくはない」と強烈に思い、新聞配達を中学2年から3年生の受験直前までして小遣いを自分で稼いでいました。(SO①)
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授業などでは、積極的に手を挙げ発言していました。体育の授業でも苦手な運動はまったくありませんでした。その反面、日常生活に必要な会話はできるが、不必要な会話がまったくできないという状況に追い込まれました。
卒業アルバムの集合写真は一番後ろの隅っこで誰とも一緒にならず、一人の孤独に耐えながら写りました。クラス集合写真も1人で深い孤独感を抱いて写っていました。そして、そんな小・中・高のアルバムは全て引きちぎって捨てています。
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修学旅行において、グループを決める際も運動で目立っていたので中心グループ的な存在にいる雰囲気だけは漂わせていましたが、ジャンケンでグループに入れてもらうという屈辱を受けました。


■家庭環境
父親は全国転勤で単身赴任で土日に帰ってくることがありました。
母親は正社員で転勤があり、両親の転勤に従って転校・引越しを繰り返しました。
両親ともに現在は70歳手前ですが、母親が帝国大学以上、父親は帝国大学失敗で後期国立、姉が帝国大学以上です。この家庭環境において、会話カテゴリで記載しておきたい致命的なことは、
家庭内会話が糞つまらない、私服が絶望的にダサい
ということです。家庭内会話のメインは、政治問題、発展途上国問題・・。こんなんじゃ、コミュニケーション能力が腐るよ。新聞は偽善的な左系新聞、中学生時代から隅々まで熟読していました。綺麗ごとで飾られ、現実と乖離しがちな新聞だと思います。

■高校1校
高校入学時に身長は180cm以上でした。身体的優位性は継続しましたが、応援練習で空手野郎上級生から屈辱の暴力被害を1ヵ月受けました。交流が続いている友人は一人もいません。 近畿ブロックとか関東ブロックとかいう地域単位で捉えるとブロック最上位の高校に進学しました。初めて記載しますが男子校(私服)です。なので女子と会話する機会はないです。当時はダサい私服をしていました。自分の私服のダサさに悩み始めました。最初は球技部に入りました。気性は荒い方でした。授業姿勢などで問題行動を指摘され、夏休み終了後に退部させられました。2ヶ月くらい、宙ぶらりんな帰宅部となり、暇になってオキシドールで色を抜いて茶髪にしました。その後、興味を持っていた格闘部に所属することにしました。性格については、投げる競技の格闘技部活に入ったことで本当に強い暴力装置を持った他校生徒に大量に出会ったことで尖った性格がかなり丸くなりました。授業はまったくついていけず、後ろの席でエロ本を読んだり、マンガを読んだり、昼飯を1限目から食べたりしていました。授業中に出てけと言われれば気にせず帰宅したりしていました。
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この学校の特筆すべき点は、休み時間にかなりの生徒が宿題などの勉強を普通にしており、人と会話しなくても、休み時間に1人で席に座っていてもまったく目立たないという所です。

この学校においても、いわゆる不必要な会話が得意ではなく、また、複数の生徒が私の机に集まったことがあったのですが「何人も来た、何話そう」と緊張して頭が真っ白になっていました。同級生には医者などが多くいますが全く交流がありません。同じ部活の同級生も高校生時にはある程度親しくしていましたが、現在はまったく交流がありません。
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高校時代は暇があれば読書しました。森鴎外が結構好きでした。だいたい読みましたが、『舞姫』『うたかたの記』『高瀬舟』『山椒大夫』『ヴィタ・セクスアリス』などが好きです。『ヴィタ・セクスアリス』はオナニーに関する考察みたいなもので、「森鴎外って凄いな、好奇心の幅が広いな」と尊敬しました。個人的には現代文学のスタートは森鴎外から始まったと思っています。その他では、『極限の民族』という本が抜群に面白く本多勝一という人の本をほとんど読了しました。元左系新聞記者で左的思想の強い人ですが悪くないと思いました。『憧憬のヒマラヤ』『戦場の村 ベトナムー戦争と民衆』『アメリカ合州国』『殺される側の論理』『殺す側の論理』『事実とは何か』『日本語の作文技術』『ルポルタージュの方法』などは個人的に特に勉強になりました。私は思想的に左派でも右派でもありませんが、左派な発言をする人が、最低でも本多勝一レベルの説得力を持っていない主張を振りかざしているのを見ると強烈にイライラします。その他、「死体の写真がどこにもない、死を隠すことで現代社会は成り立っているのか」と疑問に感じ、市立図書館などで戦争写真集などを読み漁り、死体や戦争の写真をコピーして部屋に飾り、自分の生を確認していました。
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模擬テストの答案用紙に、死についてとか、宇宙の外側についてとか、人生における虚無感とかを記載して0点をもらったりしていました。気に入らない授業をしていた教師の教科のテスト用紙に、そいつの名前や名前と記号を組み合わせた解答を書き込んでやって、そいつが激怒してマイナス○○点みたいな答案用紙が戻ってきて、授業中に激怒していましたが、私は教師でも馬鹿は大嫌いだったので鼻で笑っていました。(SO②)まあ、実際、生意気で傲慢な、人格者系な大人以外の言うことを聞かない性格でした。(今でも、内面には隠していますが、充分その性格の残りカスが沈殿しています)。成績は散々でしたが、留年する一歩手前までいって再々追試(物理)を冬休み期間だかに受けたりもしましたが、たぶん点数に下駄をはかせてもらって留年はしないで済みました。中学3年生時の同級生で一度も成績で勝てなかった別高校に進学していた成績最上位の女の子が高校2年生の夏休みに自殺しました。個人的にショックでした。

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帰宅部時代の高校一年生の秋頃の話ですが、暇でしょうがなくなっていた時期に、同じく暇でしょうがないような感じのあるクラスメートが「エロパソコンゲーム」を大量に無料で私に貸してくれたり、プレゼントしてくれたりしました。私は家にNECだかのPC-88だったか思い出せませんがパソコンがありました。そこで、エロゲーをやってみることにしました。私は、自分に対して硬派であるというような自己像を抱いていたので、「エロゲーなど恥ずかしい、オタクだ」と見下していましたが、やってみたところ、あっという間に、余りの2次元女子の可愛さとエロさとゲーム自体のクオリティーの高さに感動しエロゲーの虜になってしまいました。作品は「ドラゴンナイト」シリーズや「キャル」シリーズをしました。エロゲーでのオナニーにもの凄くハマりました。「2次元恐るべし、あなどれない」と感動し、結構な期間ずっとハマっていました。


■予備校1校
現在も交流している友人は一人もいません。当時ある程度親しかった男の子は25歳ころに統合失調症になり連絡が途絶しています。予備校に通い始めると、他高校出身者を目にする機会が増え、あまりのコミュニケーション能力の差異、お洒落度の差異に気づき愕然としました。危機感を抱きました。また、夏前だったと思いますが私と同じく受験浪人していた高校同級生が脳腫瘍で死にました。積み重ねた勉強が無意味に終わったことに強烈なショックを受けました。予備校当時の志望大学・学科は○○大学文科Ⅰ類(○学部)、○○大学進学コース在籍。(SO③)途中で予備校が無意味に思えて行かなくなり、図書館で1日13時間の勉強を激しく長期継続してみたり、勉強よりも勉強法の研究に永遠とはまったり、年末に■■になって1ヵ月自宅の自分の部屋に閉じこもり、布団に死にたい気持ちを抱えながら寝続けて、布団にカビが生えました。この後、阪神大震災が起きて、神戸市とかの受験生が何人だか死んだ新聞記事を見て、なおさら虚無感を抱きました。結局、そんな精神状態で前期受験大学に失敗し、後期受験のために宿泊したホテルで「もう、終わってるわ、俺の人生」とシャワーを首に巻きつけ体重を乗せ■■未遂しました。(UT①)投げる競技で締め落としたり、締め落とされたりの経験があったので怖さはまったくありませんでした。でも、どうしてもためらいがあって死ねなかったので、徹夜のままフラフラと受験したところ無事合格し、結局後期受験大学経済学部になんとか進学できることとなり、「せっかく大学生になったのだから、やりたいことをやるだけやってみよう、大学の間に自殺問題や死の問題についても研究してみよう」と気持ちを入れ替えました。



■大学1校(休学1年、通算5年)
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主観的には、自殺を先延ばししたので積極的に自分のキャラを変更しようとしました。その過程で、合コンに初めて参加しましたが、一緒に参加した男性から女性陣の私への事後評価を「あの人は居たか居ないかわかんない人」と聞かされ、強烈に情けなく感じました。その後も合コンに参加しても、特にお洒落な女の子達だと物凄く気後れしました。「何も話さないんだね」とか何度も言われました。

部活はさわやかになりたいと思い硬式テニスにしました。イメチェンです。しかし、思いのほか馬鹿みたいに練習するので、時間の浪費に感じてすぐに1年夏休みでやめました。その後は、ピアスを大量に両耳につけて金髪にして、高校時代にやっていた投げる競技部に入ったり、ボクシングジムに行ったり、総合格闘技系の空手道場に通ったりしました。

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ころころ、カラオケがこの世の中で異常な大ブームを巻き起こしはじめ、何をするにもカラオケがついてまわり、自分の劇的な音痴を自覚できていたので、人生の最悪なコンプレックスの一つがカラオケとなっていきました。

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本は読み込んでいました。大学生時に、就職活動時期が来る前に性格とか自殺感とか人生への向き合い方を決定づけておかなければならないという焦りもありました。「完全自殺マニュアル」著者の鶴見済が書いた「人格改造マニュアル」を繰り返し繰り返し読了していました。何とか性格・人格を改造できないか真剣に考えていました。宮台真司という社会学者の本もほとんど全て読了していました。おそらくですが、自殺と見出しがつく本だけで30冊以上買い揃えて読了していました。そして、人生、死、自殺、人格などに関する考察をパソコンに打ち込んでフロッピーディスクに記録してまとめたり、印字して紙ベースで保存したりしていました。それらの紙ベースの記録も私のブログの記事にそれなりに混在させてUPしています。これらの自殺関連本は学生後期に■■を経験した後、「こんな暗い自殺の本ばかり読んでいるから頭がおかしくなるんだ」と思い立ち全て処分しました。

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女性との会話について「地味目な女の子なら何とか話せる、でもお洒落な女の子には気後れする、どうすればいいんだろう、話しにくいタイプの女の子と話すのに慣れたらお洒落な女の子に気後れしないかもしれない、看護婦軍団とか、スッチー軍団とか、洋服屋店員さんとか、宝石店売り場の人とか・・・・キャバ嬢か!」、「キャバ嬢と話すのに慣れれば、それより緊張する女の子はほぼいない、女の子への苦手意識を消せるかもしれない。キャバクラの黒服をやろう!」と思いつきました。それで、面接を受けて「こういう世界には学生さんは入らない方がいいよ」と暴力団っぽいおじさんに断られたりもしましたが、知人の紹介によってキャバクラの黒服バイトをすることができました。■■このころ祖父が自殺しました。また、大学生になってから麻雀を覚えて馬鹿みたいにはまりました。
『麻雀』・『キャバクラ黒服』は特に会話の改善に役立ちました。
客としてキャバクラに行っても意味はないと思います。

✪✪✪
その後キャバクラの黒服アルバイトと掛け持ちで、メンズクラブという所でスーツを着てホストな感じで女性相手のアルバイトを2ヶ月程しました。「あんた、つまんないね」、「何かあんたから話しなさいよ」、「楽しませてよ」、「面白い話してよ」、「カラオケ凄い音痴だね、びっくりした」など多くのことを言われました。しらふでは仕事が辛すぎるので、店に入る前にウォッカなど高アルコール濃度の酒をしっかり飲んでから仕事に行っていました。仕事中、しこたま飲んで、外に出て吐いているときに、本当に店に戻るのが嫌になってそのまま失踪帰宅したことがあります。仕事中に失踪した経験は人生でこの1回だけです。でも、性格改善と向き合う必要があったので店長に謝罪の電話を入れて、しばらく続けました。しかし、、あまりに適性がないので「日本一周旅行に行きます」とか自然な感じで言って2ヶ月でメンズクラブのバイトをきっぱりと辞めました。個人的には、人生における全ての仕事体験の中で、最も適性がなくキツかった仕事でした。給料は日払いでもらえたので、そこら辺はよかったです。女性に高額なモノを買わせようとして、相手の了解をもらったことがあったのですが、悩んでやはり買ってもらうのを中止しました。そっち方面に才能を伸ばしたいと思えなかった。歌のうまい先輩がいて羨ましかったです。客との会話に疲れたときとか面倒なとき、カラオケで時間を潰せるので接客業にカラオケは必須です。ちなみにキャバ嬢は、ついた席の男性客が会話がつまらないとカラオケで時間を潰すという行動をとることがよくあります。

✪✪✪
サークルなども結構参加して、会話への苦手意識がかなり消滅しました。人間関係や会話や雑談を必死で本などで勉強した成果だと思いました。キャバクラ黒服バイトの成果だと思いました。恥ずかしいけど20歳までは童貞でした。高校時に「ヤラハタ=やらずに二十歳を迎える」というマンガのセリフがはやった時期があって現実に「ヤラハタ」を迎えたときは屈辱感で一杯でした。この精神的屈辱感を強烈に埋めたいという欲求が巨大でSEXにはまりました。大学生活の終わり辺りで自殺しようかなとも薄々考えていたので、エイズになってもどうでもいい、SEXをすることで得られる達成感を得ることで、「自殺を選択する精神的準備ができていくんだ」という崩壊した思考を抱いていました。ですから会話等の研究を重ね、その得られた少ない成果を何とか現実での行動面に生かすことで、多数の女性とSEXをゲーム感覚でこなしていきました。SEXとは、『SEX体験人数経験値』を増加させていくSLGゲームみたいなものと割り切っていました。キャバ嬢とやったり、看護婦姉さんとやったり、人妻とやったり、金髪外国人とやったり、OLとやったり約30人くらいとSEXしました。(SO④)こういう発想や行動に至った背景には、初めて交際した女の子に浮気されていたのを日記を読んで知ったとか、女の子に浮気されても傷つかないくらい経験人数を増やして遊ぶことで自分をショックから守ろう的な要因があったとか、浮気相手の男の勤務先に殴り込みに行ったとかありました。それ以外にも、童貞ヤラハタコンプレックスから解放されたかったからという面もありました。この時期は、ナンパの本や会話の本の勉強もかなり本気でしていました。

学生時代には、何人かと交際しましたが、その中でも可愛くて真面目な性格だった黒髪の綺麗な女の子に、自分の抱えていた内面(人生に対する虚無感や自殺に対する考え)を一瞬見せたことがありますが、その内面が重かったのでしょう、短い期間で振られました。今の妻にもやっぱり内面を一瞬見せたのですが、今の妻は「そんなこと考えたことないね、そういうことって考えようとすると頭痛くなったり、眠くなるでしょ、面倒臭いだけじゃない?」的なことを言われ、「全然人間のタイプが違うな、脳みそもタイプが違うな、こういう女の子って自分にとっても精神的にたぶん楽だな」と感じました。妻との性格の違いには、正直救われていると思います。とても愛していますが、病気の発症以来ことごとく愛されていません。







■ 就職活動期
就職活動の時期がきました。やりたい仕事が何もありませんでした。住宅メーカーの営業職の採用試験を1社だけ受けたのですが、「我が社を希望する理由」だか何だかというペーパー試験に「人は自殺できないから生きているに過ぎない、自殺できないのなら働くしかない、働くならば稼いでいて罪悪感の少ない職業を選択したい、だから私は御社を・・・・・・・・」とか何とかイカれた文章を書いて落ちました。「落ちて当然だ。こんな志望動機を書いている人間が就職できる訳がない」とすぐ休学することを決断しました。

✪✪✪(休学期)
休学する際、親に電話連絡したところ「浪人して大学を休学して一体何年就職を遅らせるんだ、就職できないぞ、休学は認めない」と言われ、自殺するか休学するかを検討しているような切迫した心境だったので話が通じないことに激怒して、電話を叩きつけて踏みつけて破壊し、その後1年くらい絶縁無連絡状態となりました。仕送りが当然打ち切られたので、稼ぎのいいバキュームの汲み取り作業員などをして、1人で生計を立てていました。休学中の学費は免除制度を利用しました。インドに行ったりアメリカに行ったりしました。その後も、就職というものをどう捉えてよいのかわからず、自分の中で消化できない強烈なストレスとなり激鬱になりました。(UT②)『道が見えない』。何とか自殺せずに無職で卒業しました。



■無職
この時代は「詰んだかな」と焦りました。会話も何も人と交流する機会がそもそもありませんでした。この時期のことは思い出したくない。無職の人で切迫した事情がある人や真面目な人は大変だと思います。



■社会人1社(約15年勤務)
A支店
B本社
C本社
D支店
E支店ーF課ーG課ーH課ーJ課

年齢を積み重ねていく中で、自分の会話について波が年単位であることに何となく気づくようになりました。性格・会話改造努力と体験選択努力の成果によって、凄く明るく元気に自然と振る舞える自分と、物凄く悲観的になったり頭痛がしたり沈んだ気持ちがしたりして落ち込んでいる自分が混在していました。結婚式のメイン余興を4回程頼まれたことがあります。同僚などと打ち合わせし、新郎にとても感謝されました。友人代表の挨拶も2度頼まれましたが、きちんとできました。会社の飲み会でも締めの一言を上司に振られたりしてきちんとこなしていました。遊びのナンパも成功したりしていました。(SO⑤)それと真逆に、突然の憂鬱、気分の沈み、自殺への扁形した思考のこびりつき。「何か、俺って変だよな、昔から少し気づいていたけど・・・」。自殺への振り幅が凄く強烈なのですが、とりあえず、会社員として、30代前半に致命的■■障害を発症し、1回の■■を契機に、今まで3回の■■休職(UT③・④・⑤)を体験しましたが何とかかんとか退職せず自殺せず3回復職しています。■■と■■を寛解極を持つ病気、■■■障害(■■■)との疾患診断なのですが、自分の過去体験に病状が完全に一致しており、完全に病名に納得しています。

会社員生活約15年のうち後半の7年間くらいは■■と■■にもまれて、人生としては終わっています。妻が離婚しないでいてくれることにかなり感謝しています。この人生として終わっている時期に上の子供が亡くなりました。
■■■
去年1年もかなり終わっていました。飲み会でも、席を動くことなく人に酒をつぐことなく誰かに話かけることなく、隙を見て途中退席していました。
■■■
しかし、今年4月に希望していた部門への人事異動が叶い、症状が安定しました。すると不思議なことに、飲み会がこなせるのです。全然普通に楽しめる、酒をつげる、話せる。当然躁極への傾きには注意していますが、それにしても不思議です。今の自分が崩壊する可能性が大きいことは3回も休職していますので、承知しています。私は、あまりにももろい欠陥品です。
■■■
『自分への確信』が持てなくなってしまった。 自分に対して思い描く自己認識像が崩壊しています。
■■■
いろんな背景がありますが、私は『会話』・『性格』・『人間関係』といった重要なものを改善させたり安定させたりするものを探し求めています、やはりきちんと身に付けておきたいと考えています。■■疾患の話に偏るのではなく、一般的な類の正しいものを探しています。自分の安定とか気楽さとか自然体での日常とかのために探しています。
スタンス的には、そんなに発見することに無理もしたくなく、一生懸命になりたくもなく、誰かそんな発想のヒントでも持っていないかなとか、あればいいのになぁぐらいの低いテンションです。多くの本を読み漁り、ネットに目を通し、多くのブログを探しましが、「これだ!」というものに辿りついた人は私が知りうる範囲ではまだいないと感じています。




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