スティル✪ライフsuicide

ようこそ「私の世界」へ  【死】・【生】----【人生】・【仕事】・【会話】・【お金】・【病気】■■■宗教死ね・スピリチュアル死ね・自己啓発死ね・綺麗事死ね

 

スポンサーサイト


Edit Category スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

寂しいことだなぁ、好きなブログさんが辞めていく


Edit Category ◆病気◆
精神病者が全ての精神病者を好きになることはありえない
同時に、私は全ての精神病者のブログを読まない
選択して好きな人のものだけ目を通すのが基本スタイルだ
私のブログにもクセはかなりある、自殺や死をメインに扱っているし、楽天的ではない
個人的は、少し深く突っ込んだような内面を出すブログを見るのが好きだ

ブログには人それぞれのスタイルがある
日々の出来事を綴っていたり
コメントをつぶやいていたり
何かを紹介していたり
スタイルは何でもいい、本人の好きなようにすればいい、それがその人のスタンスだから

ここ何日間かの間に、私が知る限り好きなブログさんが2人辞めた。

✪【実録】躁鬱病ブログの京月さん✪
個人的にコメントを入れていたし、私が発症した当時から存在していたブログさんだった。
家系的な自負心の記述も好きだったし、何かにつけ突っ込んで考察し、ときに自虐的意見やクスッとなる笑いも入っていた。それが突然引退してしまった。少し寂しいな。パスワード閲覧できるみたいなので、近しいひとや京月さん自身はアクセスできるのだろうと思う。リンクにただひとり入れていた躁鬱関係のブログだったので非常に残念だ。

そして、
✪「漣は碧色」の碧さん✪
彼女も休止するという。寂しいな。
躁鬱病寛解期にカテゴリ変更しようと決意したのは彼女の記事を読んだからだ。創設者の方の想いを丁寧に紹介していたように思う。アメンバ-ブログの人には、コメントするのにID登録が必要で私は個人情報をいろんな媒体に登録したくないので、コメントすることはなかったが、何回かコメントを入れようと思い立ったことがあった。オープンでの就労に挑戦している姿もよかった。なかなか人柄が滲み出ていたように思う。ぜひ、安定して仕事を長く継続して欲しい。生立ちや発症の記事も参考になった。


ある一定の時期を過ぎるとブログを去る人も多いのだろう。


私自身、妻に「ブログに熱中しすぎるな、軽躁になっているように見えるし、そのうち疲れてきて、睡眠不足から鬱に落ちるから、あんたはいつもそんなパターンで鬱に勝手に堕ちる、不安だし、迷惑だ」と注意されている。それもよく分かる話だ。前の寛解期のときに、SNSを何気なく始めたことがあったが、面白いという気持ちと同時に夢中になり過ぎて、疲れが蓄積した。そして、仕事が激務に変化していった労働環境変化とストレス案件を連続で丸投げされたりといった業務環境の悪化が重なって、やがて激鬱におちて3回目の休職になってしまった。恥ずかしい。本当に恥ずかしい。

それ以来SNSは2度とやっていない。だからブログにもそれほどリアルなコミュニケーションは求めていない。それよりも、自分の考察を吐きだしておきたいという気持ちが強い。現在75記事を作成している。思うに100記事も書けば、本質的に自分の内面に溜め込んでいたものが吐き出せるように思う。

毎回かなり馬鹿みたいな長文を書いているので書きすぎだなという自覚もある。記事自体はそれほどの時間をかけずに書いているのだが、私の場合文章の訂正や推敲に時間をかけすぎているので反省しています。1本の記事を書くのに、仕事の報告書1本を作成するのと同じくらいの労力を消費している。やりすぎだな。馬鹿だなとも思う。ブログの書き過ぎは間違いなく疲労の原因になるし、間違いなく脳に悪影響があるし、間違いなく眼精疲労につながる。気を付けないと・・・・・。

100記事アップしたら、どうするのか分からない。
記事の内容には主観的には満足しているから、ずっとネット上に公開を続ける予定ではいる。ブログとしては暗い内容を気にせず扱っているが、目指すところは暗い所ではない。「生」を肯定しているし、発展性のある内容、閉塞的にならない内容を志向していることは間違いない。

悩める思春期、青年期の人に自分のブログを通じて何かしらのヒントや解決策を提示できたらいいなとも厚かましいけど期待している。まあ、反応はイマイチ、イマセンくらいかな、あまりに閲覧者が少なくて、ときたま虚しくなります。実際のところは、自分の思考を何よりも自分の脳内整理のためだけに書き綴って記録しているに過ぎないのだが。

ただ、そうはいっても単純に記録するだけならノートなどに書き綴ればそれで充分済むことだ。ブログという媒体を利用してネット上に公開している以上、当然誰かに見てもらいたい、自己完結しているような閉鎖的で下らない思考になってしまっていないか、多くの人の目を通して見てもらいたい、などとという気持ちがはっきりあるのは間違いない。違った視点の人にコメントをもらえるのもうれしいですし。共感してくれる人もいればうれしいです。

いずれ、100記事書いたら、かなりペースを落としたり、放置したりすると思います。
吐き出すべきを記事にしたら、後は惰性になりそうですから。

好きなブログさんが閉鎖したり休止したりすると考えされられるなぁ、京月さんは長いことブログをしていたようだし、碧さんもトータルで11年もブログをしていたと最後のあいさつか何かに書いていた。私は4月に始めたばかりだけど、書きたいことは初めからほとんど決まっていたので、それがほぼ8割近く記事にし終わったので、ブログとの距離の取り方も少しずついろいろと考えてみたいと思います。

最後になりますが、京月さんや碧さんの『平穏な生活と穏やかな未来』を陰ながら勝手に応援させていただきます。京月さんはおそらく50代、碧さんは40代半ばだったと思います。運悪くなのか、必然なのか、遺伝子のせいなのか、環境のせいなのか、人生道程のせいなのか、分からないけど、躁鬱に罹患した人生の先輩方が残りのそれなりに長い人生を穏やかに、幸せに過ごしていくことを期待しています。




































■■■■■
2014.8/6に【実録】躁鬱病ブログの京月さんはブログ再開しているようです。

このブログさんの私が好きな記事を抜粋記録させてもらいます。アクセスできなくなっていて、もう見れないかなと思っていた個人的に好きな文章です。再開していたので、やっと抜粋できました。(太字、色変換等は私が変換)


――久しぶりに専門家に電話をした。

「頭の切り替えとか、また高いハードルを自分で勝手に作っていませんか?」
「人間なんて矛盾しているのが当たり前ですよ。矛盾を当然のこととして、その中で安定することですよ」

そんなことを言われた。なるほど。

ついでに、昔のブログに書いた「躁うつ病の治療は、発病前の自由で健康な私は死んだという認識から始まる」という説について意見を聞いた。そうすると、「躁うつ病になる人は、発病前から何かが欠けていたり、何かを抱えている場合が多いのだから、発病前の自分が自由で健康だったという考え方には同意できない」と言われた。妙に腑に落ちる話だった。発病前が正常で発病後が異常というよな単純な二分法では自分を苦しめるだけだ。そして、昔の自分に戻るという目標もまた間違いなのだ。そんなことを考えさせられた。――
関連記事

Newer Entry病気10  精神障害者の『精神』はもう排除すべき文字だ――病気カテゴリ終了――

Older Entry「死」の本質は「骨」になること

Comments

管理人のみ閲覧できます 
このコメントは管理人のみ閲覧できます
 
>返信 
コメント頂きどうもありがとうございます。
暖かく感じました。感謝します。
 


 
06 2019
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

05 07


 
 
 
人生って終わるまで長すぎる
人生とは、睡眠時間と覚醒時間の合計
 
プロフィール

スティル✪ライフ

Author:スティル✪ライフ
■会社員
■original life text
■転載禁止・終了・リンクフリー
■記事内容・UP時間随時訂正
■✪全100記事のブログ✪■■

 
毎日の花色と四季の風景(美術画像)
 
★こんにちは★2014.10/10⇒スタート
 
■カテゴリ■
  • ◆人生◆(16)
  • ◆仕事◆(10)
  • ◆会話◆(11)
  • ◆お金◆(11)
  • ◆病気◆(11)
  • 【死】(5)
  • 【生】(7)
  • スパイラル(3)
  • 友情・友達・心友論(3)
  • 暴力(10)
  • ■メモ的雑記(5)
  • ■本(3)
  • ■住宅(2)
  • ■旅行記(2)
  • ■レトロ休憩所とか(1)
 
 


ARCHIVE RSS
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。